永平寺の麓で主食の代わりに親しまれてきた“そば” をいまに引き継ぐ、永平寺古跡館りうぜん。
永平寺の山の谷は耕地が少なく焼畑農耕がおこなわれていました。毎年新しい焼畑に大根を作り、2年目はほかの作物を、そしてその後は必ずそばを蒔きました。
そばがきはもとより雑炊などにし、大切な主食の代替として、なくてはならないものでした。
さらに、山まつりをはじめ色々な行事には必ずそばを打ち、焼畑でとれた大根おろしや、
山芋をおろしたとろろでいただくのが、永平寺流です。
今を去る200余年の昔永平寺44世越州保国禅師、京よりそば切りを教えられるや、そば切りが盛んに作られ親しまれるようになりました。
永平寺を始め各寺院に摂心や大晦日の上納品として、また点心に用いられたそうです。
古老の言い伝えによりますと、門前近郷はどこの家でも、そばを打ち、その家流、その土地流の作り方が永平寺流として長年受け継がれてきました。
しかし最近はそば打ちからそば切りまで、できる名人は本当に少なくなりました。
私共では今なお、古老の語り伝えをもとに、
永平寺流そばの作り方に従い、手作りで香り豊かに精進して作らせていただいております。
りうぜんでは、永平寺の大庫院の典座老師を始めとして、
多くの方とご縁がありました。
このご縁の軌跡は、当店のおそばに、古跡館の収蔵品として今も残っています。
特に思い出深いのがこの2 枚の絵です。
この2 枚の寅さんの絵は漫画家の森田拳次さんが描かれたものです。
1972 年に公開された、9 作目「男はつらいよ 柴又慕情」では永平寺がロケ地となり、
1992 年の松竹映画「男はつらいよ」カレンダーとして作成されました。
その後、縁あって森田拳次さんにお譲りいただきました。
多くの方とご縁がありました。
このご縁の軌跡は、当店のおそばに、古跡館の収蔵品として今も残っています。
特に思い出深いのがこの2 枚の絵です。
この2 枚の寅さんの絵は漫画家の森田拳次さんが描かれたものです。
1972 年に公開された、9 作目「男はつらいよ 柴又慕情」では永平寺がロケ地となり、
1992 年の松竹映画「男はつらいよ」カレンダーとして作成されました。
その後、縁あって森田拳次さんにお譲りいただきました。
ご縁を結ばせていただき誠に有難うございます。