平寺の山の谷は耕地が少なく焼畑農耕がおこなわれ、毎年新しい焼畑に大根を作り、2年目はほかの作物を、そしてその後は、必ずそばを蒔き、各自がそばがきはもとより雑炊などにし、大切な主食の代替としてなくてはならないものでありました。また、山まつりをはじめ色々な行事には必ず山芋をつなぎとし、焼畑の青首の大根をおろしに、または山芋をおろしたとろろをいただくのが山間の此の地風。

 を去る200余年の昔永平寺44世越州保国禅師、京よりそば切りを教えられるや、そば切りが盛んに作られ親しまれるようになり、永平寺を初め各寺院に摂心や大晦日の上納品として、また点心に用いられたとの事であります。

 老の言い伝えによりますと、門前近郷にはどこの家でも、そばを打てないところはない位に誰でもができ、この土地の人たち流、つまり永平寺流のようなものが生まれ、長年受け継がれてきたとの事であります。しかし、最近はそば粉からそば切りまで、できる名人は本当に少なくなりました。

 私共では今なお、古老の語り伝えをもとに、永平寺流そばの作り方に従い、手作りで香り豊かに精進して作らせて戴いております。ご縁を結ばせていただき誠に有難うございます。

合 掌